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意味からの離脱

先日の新聞で高校生作の川柳を見て思った。


十代から二十歳過ぎくらいの頃は“意味”ばかりを追い求めていたような気がする。


生きるって?
死とは?
家族とは?
友達とは?
愛って何?
自分とは?

などと様々な事柄に疑問符をつけて、単純に、そして複雑に、
堂々巡りのようにぐるぐると、正解のない問いを繰り返していたと思う。

その時には、そこに答えがあると思っていたのだろうか。。。。


何がきっかけだったのかは覚えてないが、「目からウロコ」的に開眼したような、
今まで見えてなかった場所が明るく照らされたように、
そこで初めて気づくことができた。
今までとは違う視点によって、“意味”という自縛から解放された。
それ以来、以前よりは少しラクになれたと思う。

平たく乱暴に言ってしまえば、

“意味”なんてどうでもいいんだよ~~

ってこと。


その拠り所としようとした“意味”に代わるものとして、私は“感度”のようなものを求めた。
感情、実感、感覚などのような、所謂、その場その場で揺れ動く流動的な情動だろうか。


例えば、音楽に興奮し夢中になったり、食べ物が美味しいと感じたり、
人に会いたいと思ったり、淋しかったり、悲しかったり、苦しいと感じたり、、、、
そんなあらゆる感情に埋没することが、日々を濃密なものとしてくれると思った。
私は、それでイイと思えた。
それがイイと思った。


あるがままの感情の振幅に身を委ねることで、生きていくのもいいと思っている。
そんな積み重ねが、きっと求めたかった“意味”としての何かを感じられるのかもしれない。


“意味”追求じゃなくて“感度”を磨きたい!



稲葉さぁ~ん、アタイの感度は抜群よっ!

キャモキャモ、ベーベェ~w





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2006.01.18 | | Comments(0) | Trackback(0) | 雑感

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