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安定期(2)

『マグマ』の時点での稲葉浩志は、もちろん社会にも目を向け、日々の事象に対する自分なりの視点はあったに違いないが、それが自分の日常生活に影響を与えたり、自分をそこにコミットさせたことはなかったと思われる。

     
     灼熱の人」

革命おこしてやるなんて うっかり口にしちゃいけない
    白い目で見られるか シカトされるか
     ここらへんはそういうところだよ

冷静に俯瞰で見るのは 賢いやつらにまかしときゃいい



歌詞にもあるように、稲葉浩志は傍観者的ノンポリのようであったと思われる。
稲葉の社会的視点が窺われる歌詞は、『マグマ』ではこの一曲くらいでしかない。


『志庵』では・・・・


「Seno de Revolution」

   信号ばっか見てないで
  自分の感覚 磨いてちょうだい
   新聞はいつも絶対じゃないぜ
   やばい添加物有り

   欲しくてたまらないソレは
   本当にマジで必要なの?
 今更 疑うことが恐くなってしまったままの今日この頃

 何でなのひとつになれない フシギな惑星
   この星こそワレラそのもの
 Say NO!
 せーのでRevolution A Strong Imagination!儚いGeneration

 革命はジワジワとじゃなくてパッと一瞬に
 革命は外側からじゃなくて 内からえぐるように!



この歌詞には社会に対する問題意識が現れている。
『マグマ』の時点では、ノンポリを決め込んでいた稲葉浩志だが、ここへ来て、それまでは心の中に留めおかれたであろう社会に対する視点が、『志庵』では言葉として表現されるに至った。
ノンポリから安保反対集会に参加するくらいの変化なのかもしれない。

革命は他人事であり他人任せであったものが、今度は稲葉浩志自らが「せーの!」と掛け声を上げRevolutionを呼びかけている。
それはたくましい想像力で社会を鑑みる革命でなくてはならないと。
しかも、それは外側に向けての批判的なアジテーションではなく、己自身の内からえぐるように変革していくことが肝要なのではないかとの、稲葉浩志が自分に向けての言葉としても捉えられるし、外部に向けての呼びかけとしても捉えられる。


『志庵』の中で社会的視点がうかがわれるもう一曲


 「とどきますように」

 わかるもんじゃない そうは簡単に
 人の気持ちなんて ねぇ? 神様 ねぇ?

 あやまちをくりかえして ここまできたんだよ
 懲りないDNA 受け継ぐしかないの?

 誰のせいじゃない それは僕のせいだろ
 知らない国で あなたが泣いてるのは

 はるか遠くの惑星の話じゃないんだよ
 すべては同時に起こってる この足元で

 熱に浮かれたように 荒れ狂う波が引いても
 ただしっかり 立っていられるかい?



人々がそれぞれの思惑を抱えてぶつかり合い、歩み寄り分かり合えることなく繰り返される社会での争いごとの絶え間ない現実に対する憂い。
そしてそれらを引き起こしてるのは他の誰でもなく、そんな社会の構成員である我々一人一人なのだと。

近代の資本主義という消費社会の不公平感を増幅させる歪みがしわ寄せとなって、消費社会で限りない物欲に踊らされ一喜一憂してる経済大国の一方には、最低限の生活もままならずに飢餓と貧困にあえいでは涙を流し続けている人々がいるということ。

世界中が近代化への道をひた走り続けて目指してきたモノ・・・・それら全てが底割れして頭打ちになった社会の中で、果たして自分の足元がすくわれることがないのか・・・時世に惑わされない己であるのかとの問いかけ。



 いつまでも僕たちが 笑っていられますように
 空より高く ミサイルより速く
 つきぬけるおもい とどきますように

 いつまでも僕たちが 笑っていられますように
 時代をこえて 海をこえて
 つきぬけるおもい とどきますように
 ずっと僕たちが 注意深くいられるように
 いつか会えるはずのあなたの思いが
 僕まで とどきますように



絶え間ない争いの中でも、誰もが願うのは日々笑いのこぼれるような平和な日常であり、人類の希求が叶うべく、戦いの決断を制してしまうくらいの高く速くつきぬける思いが至る所にとどき響き渡ることへの切望。
そして、それは時空を超えて、次代を担う人々や未来の生命の変わらぬ希求のためにも注意深くあり続けなければならず、いつまでもどこまでもつきぬける思いがとどきますように!と歌われている。


稲葉浩志の歌詞表記にはいつも感心するところだが、この「とどきますように」とのひらがな表記にしたことについてラジオで語っていた。
漢字表記だと、荷物が届くような雰囲気だからひらがなにしたと言ってたと思うが、物質ではなく思いや願いをとどけるのはひらがなで表現されたほうがしっくりくるということなのだろう。
たしかに字面から受ける印象としてはその通りだと思われる。
このように表記に関しても稲葉浩志のこだわりがあり、それらには何かしら意味を含んでるものだと感じる。

「注意深く」の言葉もどうしても使いたかったと話していた。
稲葉浩志にとっては、注意深く学んでいくことが重要であると思っているのだろうし、またそれは皆そうであって欲しいとの願いも込められているのだろう。学習機能が働かないような世の中に対して!

何故、ここで歌詞として表出されたかは、やはり稲葉浩志にとって社会的事象が自分にとってリアルなものとして実生活に入り込んでると感じられたからではないかと想像する。

いつか会えるはずのあなたの思いが
僕に とどきますように


この歌詞から想像できるのは、稲葉浩志の実生活でもうすぐ生まれてくる子供が対象として浮かんでいるのではないかということ。
そのことで稲葉浩志の思いは、未来のあらゆる命に対して広がりを見せているような気がするし、社会が身近なものとして、リアルに受け止められたのではないかと想像する。




次回に続く・・・




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2005.08.19 | | Comments(0) | Trackback(0) | 人・稲葉浩志

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