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はひへほ

どうもこのごろの私は「はひへほ」のようである。
さっき、たまにお邪魔しているblogへ書き込みをしたことで
現在の我が身を実感してしまうこととなった。

うすうすは自分でも認めていたけれど、
少しは知らん振りしていたかったのかもしれない。

でも、はっきり言って今は「はひへほ」な自分だ。






自分の中で渦巻いていた荒れ狂う波が去った後で、
しっかり立っていられないのを感じている。
なぁ~~んもやる気が起きない。
燃え尽き症候群になるくらいには燃えてもいなかったし、
まさに「はひへほ」。「ふぬけ」状態なんだなぁ~。
鬱じゃないのよ。
鬱ほどに緊張感のあるような落ち込みではなくて、
落ち込む以前の、ぼやぁ~っとした綿ぼこりみたいに頼りなく、
まさに「ふぬけ」なんだなぁ~。

そんな頭でボヤボヤと思ったこと。


「愛国心」って何!?
読んで字のごとく「国を愛する心」と国語的には理解ができても
法として謳われるとなると、そもそも一体なんじゃろね?
ってなモヤモヤした気持ちになってしまう。
どうも字面とか言葉の持つ響きが、カビ臭くて禍々しい雰囲気があって
私はあまり親しくなりたくないような言葉だ。
「愛国心」の集う会場からはきっと抜け出したくなるに違いない。
「愛国心」が人に刃を向けて血を流させたという
過去の歴史があるといった印象も付着している。

なにやら新聞でも「愛国心」に関する記事が特集として
数日掲載されているようだ。
各界の知識人の方々のご意見をボヤっとした頭で「ほ~なるほど」と
わかったような気分で読んでいながら、実はハッキリとはわかるはずもなく、
ましてやそれに対して反論できるような知識も見解も何も無い。
甚だぼやっとしているだけである。


何故に今、このような言葉が表舞台に上らなければいけないのか?

どうも欠損部品を代替品で急ごしらえして安堵感を得たいような、
そんなせっかちな論理で引っ張り出されてきているような気がする。

♪なぁ~んか違う


「愛国心」を敵対視しているわけではなくて、
もちろん国の古き文化や伝統は興味深くて美しいとも思うし、
大事に伝えられるべきものとして尊ぶ気持ちはいっぱいある。
それに加えて、生まれ育った土地の気候風土に対する愛着もある。
が、しかし、それらは人それぞれが持ち得るメンタルなものであって、
そんなところまでお上がジャマしてこなくてもいいように思う。

それよりも、踏みにじられている人権が存在しないような社会に
するための具体的政策を講じるとか、民を愛する誠実な行政であれば
自然に国を愛する気持ちへとつながるように思う。

旧き良き時代だったとかなんだったとかという復古主義的な話も
チラホラ耳にするが、それはその時代であればこそ成り立っていた文化であり、
社会の変遷に則して新たに模索し続けなければ、
どんどん社会は疲弊してしまうのではないだろうか。


で、なんだか話がまたズレてきてしまっているような気がするが、
ボヤっとした頭で思ったことだからまとめられるわけがない。
いい加減疲れてきたから、、、、
う~~んなんだぁー....
「愛国心」が排他的なナショナリズムとして機能しなければいいが、
なぁ~んて、ボヤっとした頭も憂えたりすることもある。




「愛稲心」なんて定義されたら、
いくら稲葉浩志大好物な私でもそっぽ向くかも。






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2007.02.28 | | Comments(2) | Trackback(0) | 雑感

コメント

こんばんは、志凛さん。

「愛国心」って何なんでしょうね。
私は無知なもので、詳細な専門的なことは
とんと分かりませんが、そう深入りして考えないでも、
「愛国心」を押し付けてくる国の異常性は何となくわかります。

何を好きになろうが何を嫌おうが、
それは個々人の自由だと教わりました。
確か憲法にもありましたよね。
憲法19条の「思想・良心の自由」っていうやつです。
こういった内面の自由というのは、それから派生する
表現の自由などの自由という概念の基礎であり、
最も慎重且つ厳重に保守されなければならないと
習った記憶があります。
まあ、憲法自体が一種のフィクションですから、それが絶対的なものかどうかは判断しかねますが、ことこの精神の自由というのは、人類が
持つべき権利の一つだと個人的には思います。
こういった内面の自由が許されていなければ、現状の社会は
あっと言う間に権力者やら独裁者やらに喰われちゃうでしょうからね。

国が押し付けてくる「愛国心」ってヤツは、
私がC子さんが嫌いなのにC子さんを好きになれって
言ってきてるようなものです。
C子さんのいい所を見つけるのは時間がかかるかもしれません。
いくら時間をかけてもみつからないかもしれません。
それでも国は言ってくるんですね。「C子さんを好きになれ」って。
精神の自由なんてあったもんじゃありませんよ(苦笑)

今の総理大臣はミルの『自由論』というものを読まれているのかと、
私のような無知な学生でも突っ込みたくなります。
「美しい」という抽象的な目標を掲げている時点で、寒い目で見てます。
何を美しいと判断するのか。それもまた個々人で基準が違うもだと
私は思っています。それを一つに統一するような行為って、
すっごく危険だと思うんですよね…。
こういうのを見ると、高校の時の世界史で習った、
ミュンヘン一揆を企てたあの独裁者が自然と浮かんできます。

稲葉さんは今の社会をどのように考えてるんでしょうね。
是非、ここいらでソロアルバムを期待します(笑)

2007-03-04 日 20:52:13 | URL | Magnolia # [ 編集]

こんばんは、Magnoliaさん。
貴重なコメントありがとうございます。

ほんとっMagnoliaさんの記事はもちろんですが
コメントも学ぶことが多くて、無知無知な私にとってはタメになります。
と言っても、その時だけですぐ忘れてしまうという「ところてん式」な頭脳ですけれどもね。(苦笑)

>まあ、憲法自体が一種のフィクションですから、それが絶対的なものかどうかは判断しかねますが、ことこの精神の自由というのは、人類が
持つべき権利の一つだと個人的には思います。


憲法も人が作ったものですからフィクションとも言えるでしょうし、
ある地点から見た場合には絶対的なものではないと思います。
私も「自由」という精神は侵されたくありませんね。
なぁ~んて言うと、「自由や権利ばかり主張するな!」と怒鳴られそうですが。(苦笑)
自由には責任が伴うことはわかってますよー!!
権利には義務でしょっ!伊吹さん!(笑)


>国が押し付けてくる「愛国心」ってヤツは、
私がC子さんが嫌いなのにC子さんを好きになれって
言ってきてるようなものです。

だとしたら、私だって嫌いなG吉クンは受け入れられません。(笑)
生理的にダメなんですよ。困ります!

どうも、論議を尽くさぬうちに、肝心な部分が有耶無耶か、
はたまた本人たちも分かっていないのか....と思われるような、
時間ばかりを気にした、強引に見える法案可決というものが理解できません。

>「美しい」という抽象的な目標を掲げている時点で、寒い目で見てます。

そうなんですよ、私も。
抽象的な言葉は如何様にもとらえられますから、
そんな言葉で納得させられると思っているあたりに情緒的な曖昧さが感じられ
具体的な政策力に欠けるような印象を持っています。
私のように政治に疎い人たちの無責任で一般的な印象って
こんなカンジではないのかしら.....と思いますがね。


>稲葉さんは今の社会をどのように考えてるんでしょうね。
是非、ここいらでソロアルバムを期待します(笑)

激しく同意!!
「キャモォ~~ン、稲ソロ~~~~ !!」

2007-03-04 日 23:08:47 | URL | 志凛 # [ 編集]

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