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余白

「余りの白」と書いて『余白』

単純に、白地の部分が余っているとか、
無用であるなどと考えてしまうのは大間違いであって、
実はその『余白』こそが重要であったり、
何もなさそうでありながら雄弁に語っていると思われる。
その『余白』が存在しなければ表現不可能な空間というものがある。






たとえば、ここのblogのように連日更新しない場所。
「余白」というよりも、
余りさえ存在しない「無」ということかもしれないが、
大まかに考えてみるならば似通っていなくもない。
何日も文字の無い余白がダラ~~~~ッと続いている画面を
思い浮かべてみると、その余白の向こう側になんとなく
ちょっとした想像をめぐらしてしまう。
(表現不可能云々というのとは違うが、ある種の表現とも捉えられると思う)


また、人との会話における無言の「間」というものも
ひとつの「余白」であると思う。
その「間」は会話のリズムを調子づける場合もあれば、
あるいは言葉以上の感情表現になっていることもあるかもしれない。
ことに、絶頂期へと上昇中の恋愛の只中にいる男女の会話にある「余白」は
かなり雄弁であると思うのだが。
まっ、中には言葉攻めを得意とする方もいるのかもしれないけれど。(笑)


そして端的に感じられるのが、デザインとして構築された「余白」の重要性。
その配分や分量いかんによって世界がまるで違うものとなってしまう。
たとえばこれらのハガキはどうだろうか。



070411_2000~02.jpg



070411_2000~01.jpg



各人の好みや感性によって印象は違うだろうが、
私はこの「余白」の存在感が好きだ。

これらのハガキは、食事したとある店の壁に掛けられていたもので、
透明のウォールポケットに入っていたハガキを頂戴してきたものだ。
最初はそのウォールポケット一面が一つのポスターのように見えたが、
実際は様々なデザインの広告ハガキで構成されていたものだった。
自由に客が手に取れるような見やすい陳列であり、
置き場所が壁面という機能性と、アートとしての装飾性も兼ねたものなのだろう。


そして関心事の一つである古典芸能の『能』も、
かなり魅力的な「余白」にまとわれている世界ではないのかと思っている。
何度も体感してみなければ味わえない深遠さがあるようで、
今後もっと探ってみたいと思っている美しい「余白」の世界だ。



この他にもまだまだあるが、
このごろいろんな場面で、ふと印象的だった『余白』というもの。
考えてみると、人でも『余白』が感じられる人が好きなのかも....
ほどよく『余白』を醸し出している人は魅力的だと思う。
その『余白』に誘い込まれる想像力が関心となり、
飽くまで見つめていたいと思うのだろう。




むろん大好物である稲葉浩志にも『余白』を感じている。





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2007.04.11 | | Comments(0) | Trackback(0) | 雑感

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  • Author:志凛
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