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かなしみ涙に日がしずむ

朝はラジオのFEN放送をBGMがわりに流しているのだが、
そこから聴こえてきたのは耳馴染んでいた美しい旋律。
アナウンサーがなんだかとても気になることを言っているような....
ヨーヨー・マまで彼について語っているこの内容は....

もしや、、、、、、







グゥァーーーーン!!



新聞で確認したら、嫌な予感が当たってしまった。
世界的に有名なチェリストである、
ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチの訃報が掲載されていた。
ワナワナと全身の力が抜けていくように呆然としてしまった。
そんなぁ~、そんな、そんな...
そんなことがあるのか....


.....ただただ悲しい。
訃報に接して熱いものがこみあげてきたのは、
身内以外では初めての人物かもしれない。



どこかで私は、ロストロポーヴィッチは100歳近くまで生きるような、
そんな自分の願望のままに信じきっていたようなところがあって、
こんなにも早く亡くなられるとは思ってもいなかった。
とはいえ、80歳であるのだから早すぎるわけではないけれども。



結局、私は氏の生演奏に触れることは叶わずじまい。
数年前に、かなり高額ではあったけれども、
是非とも体感したい演奏会があり、チケットを入手しようとしたところ
余りの人気で残念ながら手に入らず行けなかったし、
昨年も公演のチェックはしていたが都合がつかず。


あーーーーーー、もうどうにもならん。


氏がすでに高齢であるという現実を切実なものとして
受け止めていなかったことも浅はかだし、
また、何があってもどうしてもという熱意が、
私に欠けていたということなのかもしれない。




クラシック音楽は嫌いではなかったが、
ずうっと、自分にとっては敷居が高い世界のように感じられていた。
そんな敷居の高い玄関の扉を開けさせてくれたのが、
たまたまTVで見たロストロポーヴィッチの演奏だった。
全く氏に関する予備知識がないままに出会った演奏だった。

あれは10年以上も前の年末年始の特別番組ではなかったろうか...
どこかの教会でソロ演奏されたチェロの響きにゾクッと鳥肌が立ち、
魂を奪われるようにその調べに惹き込まれ、
いつのまにか私の頬には涙がこぼれていた。


このような衝撃的な出会いをしたことから、
2年ばかりクラシック音楽に親しむことになったのだが、
当時は、演奏会に何度も行けるようなお金も無ければ時間的ゆとりもなくて
とりあえずは、図書館で無料レンタルできるCDを片っ端から聴いた。
そのうちに自分の好みの曲調の傾向がわかってきて、
それ以降は好みのわずかなCDを聴いているだけで満足していた。
親しんだとは言ってもクラシック音楽のほんの一部にすぎないわけで、
知らない作曲家や曲の方が多い。
であるからして、特にクラシックファンとは言えない。



私にはこのCDがあるだけでいい。


『ロストロポーヴィッチ J.S.バッハ無伴奏チェロ組曲』
070428_2011~02.jpg

これは1992年にパリから西へ200キロ離れたヴェズレーの
僧院教会で録音されたもので、1995年のリリース2枚組みAL。


このCDに限らず、氏の奏でるチェロの音はふくよかに艶やかで美しい。
そして毅然とした佇まいを思わせるような響きの中には
感情の襞が熱く織り込まれ、それらの豊かな表象が聴く者に訴えかけてくる。
時には自分自身に真摯に対峙せよと戒められ、
時には病んだ心が優しく抱かれて、
時には荒ぶる魂が鎮められるように、
その時々で氏の奏でる音は私に寄り添ってくれる。
たぶん生涯手放すことのない、とっておきのCDであることは間違いないだろう。



今日は一日じゅう頭の中はロストロポーヴィッチのことにとらわれ、
何もかもが上の空であり、
氏の演奏に浸りつつ在りし日の映像を思い浮かべていた。
こうして氏との出会いなどを思い出しては文字にしてみることで、
自分の気持ちが整理され落ち着きを取り戻していくようだ。



さきに挙げたALは名盤です。
言い過ぎかもしれませんが、
氏の人物像までもが感じられるような演奏だと思っています。
たくさんの方に聴いていただきたいALです。
少し気になった方は、是非ともお手にとってみてください。




いつまでも私の中でロストロポーヴィッチは生きている!
でもやっぱり涙。



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2007.04.28 | | Comments(2) | Trackback(0) | その他

コメント

こんばんは、志凛さん。

自分にとって、「大切な人」が突然いなくなってしまうことは
非常に悲しいことだと思います。

「大切な人」とは、実際に会い言葉を交わしたとか、そういった
行為が為されていなくても、自分にとって「大切」だと思えば、
やっぱりそれは「大切な人」なのでしょうね。

僕も哲学者の池田昌子さんという方が亡くなったと知った時は、
何とも言えない心持ちを経験しました。
数年前、とあることをきっかけに彼女を知り、彼女の書籍に
魅了されていきました。実際にお会いして、
それは別にサイン会なんかのイベントなんかで
構わないのですが、簡単なお話をしたかったと、とにかく言葉を
交わしたかった思える、数少ない方でした。
それももう叶わぬ夢。
それを理解した時、何ともいえぬ内証がありました。
涙は出ません。ただ、「あぁー…」という想い。悲しい。

「大切な人」は、残念ながら待っていてはくれないのですね。
やっぱり時間の流れははやいと、そう思いました。

2007-05-08 火 22:02:28 | URL | Magnolia # [ 編集]

こんばんは、Magnoliaさん。
コメントありがとうございます。

>「大切な人」とは、実際に会い言葉を交わしたとか、そういった
行為が為されていなくても、自分にとって「大切」だと思えば、
やっぱりそれは「大切な人」なのでしょうね。

Magnoliaさんのおっしゃるとおり、
実際にお会いしたこともなければ、何の交流がなくても、
音楽なり書物なり、それらを介して、
その人物と一方的な出会いをしたことで多大な影響を受け、
「大切な人」として位置づけられる場合がありますよね。
自分の夢が叶わなかったのは残念ですが、
幸いにも彼らの作品が残りますので、
うっかりすると(笑)、悲しい事実を忘れさせてくれます。
もともとおいそれとは会えない方なのですからね。
でも、やっぱりMagnoliaさんも私も残念無念よねぇ~~。(涙)

2007-05-08 火 23:44:52 | URL | 志凛 # [ 編集]

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