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ポイントダウン

今日が『永遠の翼』のフラゲ日であることはすっかり忘れていた。
というか、気にしていなかったというのが本当のところだ。

すでに全曲聴いてしまっているわけで、
楽曲自体に特に魅力も感じていないし、
基本的にシングルは購入しないから、私は当然買っていない。








永遠の翼なんてあるわけないだろう!と思われそうですが、
心の底から「誰かのために」と思って何かをした時、
その人の背中に翼が生えて、その心が報われる...という
希望の象徴として書かせていただきました。
どうぞ聴いて下さい。
                   稲葉浩志





このように、新曲発売のメッセージとして届けられていたが、
これを見て、ちょっとあまりいい気分がしなかった。


『永遠の翼』は映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」主題歌であるから、
稲葉さんのメッセージを特攻隊員が置かれた状況として考えた場合、、、、、
言わんとすることはわからなくもない。
確かにこれと似たようなことを思われた方もいらっしゃったのかもしれないが、
全てではないと思われる。




人が心に抱く気持ちはそれぞれであり、その人の自由であり
他人が侵すべからざる領域であり、
もちろん、「誰かのために」と思いたい方は思えばいいのだが、
どんな状況下であっても、個人的にはあまり好きになれない言葉だ。
ましてや直接に言葉として言われることは好ましくない。
私とすれば「誰かのためにと思いたい自分」というほうが受け入れられる。



その時代の当事者ではないから想像でしかないのだが、
例えば最前線にいて戦況を肌で感じとっていたとしたら、
目前で待ち構えている自分の死は理不尽であると思え、
自分の任務が受け入れ難くなり、
極限まで追い詰められていく己の生への執着心との闘いが
相当なものではないだろうかと思われる。

そこで、自分の死を大義あるものとして正当化するためには、
「誰かのために」と思わずにはいられないのかもしれない。
散り行く命を美しいものとするように、
自分の「死」を他者の「生」と引き換えにして納得させたいのかもしれないが、
実際には、己の「死」は己の「死」でしかあり得ないと思う。


「君のために・・・・」と自己犠牲的な行為を示されたとして、
人は嬉しいものだろうか..................私は困る。
それが相手の生死に関わることならばなおさらに重過ぎて、
「カンベンしてよー!」
「人を引き合いに出さずに自分自身の中で決着つけてくれよ!」

と言いたくなる。




自分が報われなければやりきれないわけで、
そこへ希望の象徴として永遠の翼があると思うことで
自分自身が救われたいということなのだろうと、私は考える。


戦時下における「死」は美しくもなければ無残なものではないだろうか。
残された者はただただ深い悲しみに沈むことだろう。
だから私は、
希望の象徴となるような永遠の翼なんてあり得ないんだと思いたい。





安倍内閣は憲法改正に向けていろいろと動きがあり、
憲法第九条二項の自衛隊に関する条約もその一つであるようだが、
専制守備的自衛力だけではなく、
改正によって先制攻撃能力を持つことのないように願いたい。

そもそも憲法って何?

憲法学からいうと、
憲法とは国民の側から権力者に与える命令(統治行為のルール)であると
私が認識したのはつい最近のこと。
国民の側から権力者に命令を与えて、
権力者を縛るためにあるものだということだそうな。
であるならば、「国民の権利規定が多すぎるから、もっと義務規定をふやせ」
なんて主張は変だよなぁ。



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2007.05.08 | | Comments(0) | Trackback(0) | 人・稲葉浩志

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