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ぼんやり

しとしと降る雨は‘ぼんやり’を誘う。
雨の風景を前にして、ただ椅子に座っているだけのぼんやりとした姿には、
きっとどこにも意思が見えない。

かといって思考停止なわけでもない。
‘ぼんやり’は何の脈絡もなく突拍子もない問いを投げかけてくる。
答えのない自問を繰り返すだけで終わるのはいつものことで....
わかっていても、その‘ぼんやり’とした時間にひたってみる。








人が見たら、とても無駄な時をすごしているように見えるかもしれないが、
自分にとっては贅沢で愛すべき時間であり、
いちばん正直で、素直にラクでいられる時なのかもしれない。
社会的約束事で動いている時間軸から少し抜け出して、
ふと想うことで、ほんの少しだけかもしれないがナニかが変えられる。
手で触れて実感できるものでもないし、
目に見えるほどの変化があるわけでもないけれど、
たぶんナニかが動き、ナニかが変わっているような気がしている。



これまで、どれほどの‘ぼんやり’を過ごしてきたのだろうか。
トータル時間にしたら相当な時間になるのかもしれない。
それこそ、その時間を生産性のある事柄に結びつけたら、
どんなに有益であったのかと指摘されてしまいそうなくらいの膨大な時間。
しかし、自分にとっては非生産的で無益であるからこそ、
愛しき‘ぼんやり’なのだと思われる。


過去の記憶は哀しくて美しい...





そんなときに聴いていた稲ソロの歌声。
稲葉さんも、いくつかの断念とともに、
生きていくことの哀しみを抱いている人なのだろうなと感じられた。
だから人の痛み悲しみに愚鈍ではいられないのかも...


稲葉さんは冷たそうに見せるけれども、
それはきっと二重三重の想像力が働き、
優しい人だから自分を虐めないではいられなくなるんじゃないか...
そして自分に厳しく、自己正当化したがるところには疑問を抱き、
自己欺瞞を暴こうと責めたりもする。
こうして逃げずに、自分と常に対峙していなければいけないから、
自分自身に正直になることは、けっこうキツイことだと思う。




こんなふうに稲葉さんに抱くイメージなどは、
すべて、自分の理想的偶像を投影させた勝手な妄想なのかもしれない。
実際に接したことがない人なのだから、
ここで想う「稲葉浩志像」などは妄想の産物でしかないのだろう。

でも、たぶんそれでいい。
私にとっては、ずう~~っと偶像化した非日常的な存在であって、
現実がどうであれ、真実がどうであれ、
妄想の対象として愛すべき「稲葉浩志」であり続けるのだと思う。




B’zを偶像的存在として見ていたい私からすると、
『ACTION』のジャケ写は、躍動感あふれるアニメチックな二人であり、
ただ前後に並んで立っている写真よりはずっといい。
ジャケットを見て、面白そうなALなのかな?と
手に取る人がいるのかもしれないと、少しは思える。








もしや、稲葉さんも‘ぼんやり’が嫌いじゃないかも。
会報でさえも、時々黄昏ている写真を見かけるくらいだから。
まっ、私とは‘ぼんやり’の中身が違うのだろうけれども...









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2007.10.26 | | Comments(0) | Trackback(0) | 人・稲葉浩志

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  • Author:志凛
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