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雨うらめしや~

近年では、今日ほど雨がうらめしく思われたことはない。
今日に限って何故に雨が降るんじゃっ!!(怒)

残念無念。
意気消沈。
気持ちの沈んだ雨の一日。



何ヶ月も前から楽しみにしていた『薪能』だったのに...
夜空の下で体感する能を昨年来待ち望んでいたのに...
しかも演目が『葵上』だったのに...
雨のせいで中止だなんて、あぁ悲しぃーーー。


おてんとうさまに恨み言を言っても始まらないけれど、
この行き場のない気持ちが行き着くところは、ここだよな。(苦笑)












何ひとつ飾りのない吹き抜けの舞台に、鍛えこまれた肉体が、美しい能装束を直線的に身にまとって、異次元の面をつけて現れる。抽象的な型の連続の中についに「あのひとたち」の心と行為が現れる。それを読みとるのは、観客自身の参加する心である。そこに、いかなる情念の劇を観ることができるのか、人間のいかなる本性がさらけ出されるのか、そして、救いと慰めは得られるのか。それらは観客自身が発見するのである。

                       多田富雄 著 『脳の中の能舞台』「能を観る」より
           


今夜、観客自身(私)が何かを発見して感じられたかもしれないのに...

一昨日に能を観に行ったばかりで、
自分なりにある種の収穫が得られたせいなのか、
『薪能』に向けて気持ちがかなり高揚していた。
まさしく脳の中は「能」化していたほどで、
森の木立に囲まれた、夕闇に浮かぶ能舞台に想像をめぐらしていた。

女の静謐な面の表情が如何様に変容してゆき、
自分に何を語りかけてくるのだろうか...
そこに自分の心が観取れるものがあるのだろうか...
風に乗せられた甲高い笛の第一声は、
緑の呼吸の中で、どのように響き渡るのだろうか...


見果てぬ夢をただただ想像するばかり。
今年も叶わずじまいの『薪能』。
あーーーまたもや満たされぬ欲望が積み重ねられ、
私の欲望の貯蔵庫は山のようだよ、稲葉さん!
MONSTERだよ稲葉さん!
なぜだか呼んでみたよ稲葉さん!







まだ気持ちの収まりがつかないので、
またもや多田富雄氏の文章をここに書き写して、
沈んだ心を宥めることにしよう。



能楽堂という特異な空間を通して、私たちはさまざまな「あのひとたち」と出会う。必ずしも異界からの使者たちだけではない。ときにはごく身近に住んでいた人たちの、どうしようもない悲しみやつきあげるような喜びを聞く。すさまじい嫉妬や呪いの声、母のすすり泣きや愛の喜びを聞く。
 ただ明らかなことは、「あのひとたち」が、決して日常性の中に没していないということである。「あのひとたち」は舞台の上で、人間の生き死にの凄まじさ、愛や憎悪、戦いの悲惨さ、さらにはそれらを超越した境地や隠された聖性など、極限の人間性などを伝えるために現れるのだ。だから「あのひとたち」は、面(おもて)という特別な顔をつけている。日常の人間の表情を超えて、さまざまな普遍的なものを語りかける、面という極限の顔を持たなければならないのだ。
 面は、わずかな角度の変化や左右の運動で、隠微な、ときには強烈な感情を表現する。しかし、感情というのは、観客自身が感知するおのれの心の動きなのだ。面を自分の心という鏡に映してみて、観客みずからが作り出している表情なのである。表情は初めから能面に刻み込まれていたわけではない。

                        多田富雄 著 『脳の中の能舞台』「能を観る」より





自分の鏡に映ったなら、静かな興奮の深いところでゆらゆら揺れて、
しばらくは現実に戻れず、決まってひとり寄り道をして帰宅の足を遅らせる。
おのれの鬼と情念をリアルに感じてみたかった。
鬼のようだとは言われるけどね。(苦笑)







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2008.10.14 | | Comments(0) | Trackback(0) | その他

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