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事前学習

心理学的には、この二つの傾向は一つの根本的な要求のあらわれである。すなわち孤独にたえられないことと、自己自身の弱点とから逃れでることである。私はサディズムとマゾヒズムのどちらの根底にもみられるこの目的を、共棲(symbiosis)と呼ぶことにしたい。心理学的意味における共棲とは、自己を他人と(あるいはかれの外側のどのような力とでも)、おたがいに自己自身の統一性を失い、おたがいに完全に依存しあうように、一体化することを意味する。・・・・・・どちらのばあいも個人の統一は失われる。一方では私は自己の外側の力のなかに解消する。私は私を失う。他方では、私は自己を拡大し、他人を自己の一部にするが、そのさい私は独立した個人としては欠けていた力を獲得するのである。
      
                                      『自由からの逃走』 フロム


フロムが、こうした「サド・マゾヒズム的性格」を「権威主義的性格(パーソナリティ)」と呼んだことは余りにも有名です。



へぇ~、そうなんですかー。
と、さも納得したように頷いてみたりしてページをめくっていくのだが、
いかんせんこのボケボケの脳では、言葉だけが上滑りして通過しているみたいで、
いつのまにかパタンと本は閉じられて眠りの世界へ突入しているのだ。











文明と野蛮、高貴さと低俗さ、美しさと醜さ、民主と独裁、善と悪など、二極化した言説は、「こちら側」と「あちら側」、「われわれ」と「かれら」の境界をますます固定化させ、国民の内部的な構成を教条化する効果を生み出します。要するに、相手のイメージがナルシシズムによって歪められることで、他者への想像力が停止してしまうのです。
 それは同時に「わたし」という一人称単数を自らが帰属する共同体の名称(「日本人」や「日本国民」)に解消してしまうのですから、全知全能のような感覚に浸っていられるのです。「日本人は怒っているぞ」「日本人は悲しんでいるぞ」「日本人は喜んでいるぞ」といった、個々の実感の希薄な情動が暴走することになりかねないのです。




上記の引用文はすべて姜尚中氏著作の『愛国の作法』からなんですがね、
難しそうなことを言っているようで、
実は日々の生活の身近なところでも見受けられることなんじゃろな...。



いや~~ミーハー的に姜尚中氏の講演を拝聴しに行く前に、
ちょっと新し目の本を一冊くらいは読んでおこうかな...ってね。
でも、結局は半分くらいしか読めていない。(苦笑)



こんなワタシだけど
きょう、姜尚中さんに会いに行くぜぇ~~!!
楽しみだ、ふふふ。





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2008.11.02 | | Comments(0) | Trackback(0) | その他

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