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初めて2006年に能楽を体感して以来、
もう10回ほどは観賞しているのかな...

う~ん、自分の望み通りに毎回興奮が得られるというわけではなくて、
その日の公演で、
何かしらひとつでも楽しめる要素が見つけられればいいかなと思って
出かけている能楽観賞。
最近では、選り好みせずに、
能の演目を知る意味でも機会があれば出かけている。

選り好みしないのは、
決まって招待券がある時だけなんだけどね。(笑)











昨日行った場所はここ
nougakudou1.jpg

能楽堂の中庭
nougakudou.jpg

(画像は昨年12月に行ったときのもので、
昨日は写真を撮る余裕がなかった)




残念ながら、
今回はいつもより「眠り」の時間が多かったように思う。(苦笑)
そして疲れた。

舞台にひきつけられて、
自分の存在さえも失せているように集中できると、
時間の経過など全く気にもならず、
長時間座っていることもさほど苦ではないのだが、
何も見るべきものがないと感じられると、
早くこの演目が終えてくれないかと念じていたりする。


技術不足はもちろんのこと、
シテの舞いに緊張感が欠けていると、
それは全てに影響してしまうようで、
囃子方も地謡もワキも全てがバラバラに感じられてしまう。
そうなると舞台と客席も分断されているように、
舞台上の出来事が他所事に見えてくる。

そんなふうに感じていたのは、
たぶん私だけではなかったと思う。
客の期待感が薄れると、それに伴い集中力も途切れて、
次第に退屈でゆるみきった空気が、
客席上に蔓延してくるように感じられたもの。

しかしながら、昨日は招待券でもあり、
また能の元祖的な『翁』というおめでたい演目を観賞できたことが、
まぁ一つの収穫としては良かったのかなということで、
自分を納得させている。


『翁』は能であって能ではないと言われるように、
能の中でも特異な曲のようだ。
天下泰平を祈る儀式の曲である『翁』は、
まさにそれは荘厳な儀式のようであった。
その始まりからして、
普段装束をつけない囃子方や地謡の人たちも全員が、
侍烏帽子に素襖裃の礼装になり、
後見も皆ズラリと橋掛かりからその奥へと整列している様は、
厳かな緊張感に包まれていて、
見たこともない時代絵巻のようでもあり、
古式ゆかしい様式美に見惚れていた。

千歳・翁・三番三の演者が祈祷の歌舞を披露していくのだが、
三者はそれぞれの趣があり、
中でも狂言師の三番三は、力強い掛け声とともに躍動的な舞であり、
その内容がどういうものであるかは全く知らないけれど、
豊年満作を祈願するような舞に見えた。
天地の恵みでもたらされる命の糧に対する切なる祈りと、
自然界への畏敬の念が込められているような気がした。

こうして目の前の儀式を観ている自分も、
自然にその儀式への参列者のような気分になり、
身がひきしまるような改まった心持ちで、
演者らと緊張感を共有しているのだ。



能楽の公演はたった一日限りで、同じものは2度と観られない。
厳密に言えば、
B’zのLIVEにしたってナマだからその日限りのものではあるけれど、
メンバーが同じでセットリストも同じものは何度かあるわけで、
しかしながら能は、本当に演目・演者の組み合わせは一回限り。
その一度限りの舞台に自分が欲する感動を求めて、
きっとこれからも出かけるのだろうな...
B'zもそうだけど...


しかしなぁ・・・自分が期待して思い描いている感動というものが、
かなり常軌を逸したものだったりして...(苦笑)


あることで人が笑ったり泣いたりと反応しているのを見て、
何が面白いのか、何故に泣けるのか、
自分にはさっぱりわからないということが多々ある。
やっぱり自分はかなり感受性が鈍いヤツってこと!?








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2009.01.19 | | Comments(0) | Trackback(0) | その他

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