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道成寺

ある人が言った。

なにかに感動するということは、
そこに自分との接点を見出しているからだろうと。


個人の中にあるものがソレに共鳴して心が震えるという状態が、
自分が体験して思うところの「感動」なのかなと。
ということは、自分との接点といってもいいのか....


何が接点だったのか、
何に共鳴したのか、
そのへんのところは上手く説明ができないけれども、
最近では珍しく心が震えた。







先月27日、国立能楽堂で久しぶりに能を観てきた。


『道成寺』

白拍子(前シテ)が鐘供養のために舞うので
鐘を拝ませてほしいと申し出るのだが、
そこには情念と決死の思いが表れ、
一瞬にして空間が支配されたような緊張感で引き締まった。

前段の中心は、
白拍子(前シテ)の舞と小鼓の一声と鼓の響きによる、
まさに真剣勝負とでも呼ぶべき二人のかけ合いであり、
それはお互いの間合いを肌で交感しているような緊張感に満ちていた。
息を呑むように注視する自分は、その時すでに忘我の境地であった。

ある一連の妖しげな舞の連続により、
時の経過や白拍子の感情の高ぶりが伝わり、
同時に観客もそれを共有しているかのような空気が感じられ、
シテの全身が発する張り詰めた気が
能楽堂という空間を、古の道成寺へと時空を飛び越えさせているのだ。

舞の体勢バランスの美、
緩急の流れが作り出す動線の美、
能面が息づく表情の美。
実に美しい。

前段の終盤で白拍子(前シテ)は鐘の下へとすっくと立ち、
鐘を支えるかのように両腕を広げて前方を凝視する。
それは烈火のごとく燃える鋼のようで、
白拍子の姿は精神の強靭さゆえに哀しみを誘うのだ。

そして白拍子が飛び上がると同時に、
鐘が地面に落下した。


落下した鐘の内部で白拍子は蛇体へと変わり、
後段は住僧(ワキ)と蛇体(後シテ)との攻防が繰り広げられる。
残念ながら、後シテには疲れが見え、
蛇体の凄みもあまり感じられず、舞にもキレが欠けていたように思える。
鐘の中で準備し待機する間にも、
緊張感と集中力を持続させるのは、
よほどの精神力と体力を要することなのだろう。

とはいえ、
前シテの段階で、自分の感受性における沸点が感じられたことで、
終演後、能楽堂を出て、
蒸し暑く人が行き交う雑踏の中を歩いていても、
道成寺の残像がつきまとい、
しばらくは自分が違う時代へと迷い込んだような気分だった。




これだから能観賞はやめられない。
その場限りの一回性の感動であって、
目に見える形としては残らないけれども、
何にも変え難いものとして自分の内部に蓄積されていく。


LIVEもしかり。
Larry Carlton & Tak Matsumoto
Live2010 「TAKE YOUR PICK」
2日、BLUE NOTE TOKYOで観てきた。
今までに味わったことのない満足感があった。
箱が違うとこんなに違うものなんだと。
音楽そのものだけではなく、
あらゆるシチュエーションが絡んで、
体感できた満足感なのだろうと思う。



いやいやぁ~「ナマ」はイイっす!!



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2010.07.07 | | Comments(0) | Trackback(0) | その他

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